みなさんお久しぶりです。
いかがお過ごしですか。
私が書く文章、ありがたいことに一部の方からは
非常にご好評いただいておりまして
もっと更新頻度を上げてくれという声もあったりするのですが、
なかなか更新できていないのが現状ですね、、、ごめんなさい。
というのも私は最近とある国家資格に向けて
猛勉強しているところでございまして、
平日平均3~4時間、土日で5~6時間程度は机に向かっている感じです。
一次試験が8月、二次試験が10月とこの先半年間くらいは
ずっと勉強することになると思うので、無事合格できたら
来年から頑張ってブログ更新していこうかなぁなんて考えています。
今回は勉強で忙しくてもこれはどうしても記事にしたい!と思ったので
こうしてパソコンを開いております。
さて突然ですが、みなさんの中で「大人になる」ってどういうことだと
定義していますか?
今回は「大人になるってどういうことなんだろう」という内容で
話していきたいと思います。
「やりたいことを見つけたい!」って人にも
役にたつ内容かなぁなんて思います。
3分ほどで読めるのでこのままちらっと覗いていってくださいね。
なぜこの内容?
まず、今回これを書こうと思った経緯はというと、
先日母親から
「5歳から大学卒業までテニス一筋で打ち込んできたのが、社会人になって急に仕事第一の生活に変わったら、
普通は燃え尽き症候群にでもなりそうなのに次から次へと興味の湧くものを見つけてきてしっかり没頭できるのがすごい」
って言われたんですよね。
確かになぁと思いました。
物心ついた頃からラケットを握り、当然のようにプロを志し、
これまた当然のようにGWや年末年始なんて関係なく
ずーっとやってきたテニス。
それがある日を境にラケットを月に1回握るか握らないかのレベルになるわけです。
思い返せば、確かに私のテニス仲間には
「これからなにを頑張っていいのかわからない」って言ってた人が
ちょくちょくいたように思います。
そんな中私はというと「やっぱテニスしたいなぁ」なんて特に思わず日々楽しんでいます。
この違いはなんだろうなと。
気になって夜しか眠れなくなったので入浴中に考えてみて、自分なりの言葉にしてみました。
”選択肢を削っていく”ということ
最初に結論を言うと、
「大人になるというのは”選択肢を削っていく”ということ」
これが私の答えです。
どういうこと?って感じだと思うので簡単に解説していきます。
人間って若ければ若いほど可能性に満ち溢れているわけです。
(一般的な話でもちろんお年を召しても輝いている方は大勢いらっしゃいます。)
例えば私にはもうすぐ1歳になる姪っ子がいますが、
その姪っ子なんて可能性の宝庫ですよね。
まだなににだってなれる可能性を秘めています。
前述の通り私も幼い頃はプロテニスプレーヤーを志していました。
しかし歳を重ねるにつれ「自分には無理かもしれない」という感情が芽生え始め、
それはいつしか確信に変わり、大学を卒業したら社会人として働こうと決心する。
(そういうときでも自分の可能性を信じて疑わず夢に向かって突き進んだ人が
今プロになっているのだと思います。本当に心の底から尊敬しています。)
一見プロになるという選択をしなかった(できなかった)というのは
夢を諦めた、つまり悲しいことのように思いますが、
これで良いんです。なぜなら可能性を削れているから。
「諦めずに夢を追う」これはかっこいいことですし誰にでも真似できることではないです。
でも一旦考えてみて欲しいのは
「今諦めたくないものは本当にやりたいことなの?」ってことです。
私の場合は5歳の頃からテニスしかしてないわけです。
つまりプロテニスプレーヤーになるという夢を持った世界線でしか生きたことがない。
もっと他に”どハマりすること”があるかもしれないのに。
24年間生きてきてプロテニスプレーヤーになれるかどうかの可能性しか知らない。
まだ1つの可能性が削れただけなのに「なにを頑張れば良いのかわからない」は違くない??って
個人的にはそう思うわけですよね。
そう考えると社会人になってからの自分の行動とも辻褄が合うなと思います。
興味が湧いたもの、面白そう!って思ったものに片っ端から手を出してみる。
読書にしても、YouTubeの動画投稿にしても、
オンラインサロンに加入してみたことも、このブログにしても。
とにかく自分の手で触れてみる。
やってみて「なんか違ったな」って思えばやめてしまえば良いんです。
やめること、諦めることってなんだかカッコ悪いように思うし、世間的にも根性なしに思われるっていう風潮もありますが、
全然そんなことないです。
だってそれによってまた1つ可能性が削れるわけですから。
諦めることは本当にやりたいことを見つけるための1つの手段に過ぎません。
大半の人はそうやっていろんなものに自分の手で触れてみて、
可能性を1つずつ削っていっていくことで自分が本当にやりたいこと、
「やめたくないな」と思えることに出会えるのだと思っています。
1つのことだけを諦めずにずーっとやり続けて極めている人は
最初に手をつけたものがその「やめたくないな」と思えるものだったというだけのことです。
出会う順番の問題だけなのかなと。
だからそう思えるものに出会えるまでとにかく動き続けてみれば良いのではと思います。
諦めるかどうかの判断があまりにも早すぎると
「本当はそれが天職だったのに!」ってこともあるかもしれないので
見極めが早すぎるのも考えものかもしれないですが。
まぁでも、私個人的には”人生は一期一会”なので、
もし仮に諦めたものが自分の天職だったとしても、
諦めるという判断をしたということは自分の人生において
「縁のないものの1つに過ぎない」のだと思いますけどね。
そう考えた方がきっと幸せです。
ここまで読んでくださったあなたも、
この先の人生に迷っているなら、
騙されたと思って
「面白そう!って思ったものには手をつけてみる」
を実践してみてくださいね。
きっとそこから諦めたことがある人にしか見えない世界が広がっていきますよ。
ではまた。
たろちゃん。
順調に大人になってるね❣️
今から、自分より大切な守っていかなくてはならない人が出来ると、もっともっと素敵な大人になるよ。見守ってるからね!頑張って
いや、文章書くの上手くなったなぁ。
とにかく、廉の主張がすんなり頭に入ってくる。
凄いことだと思います。
そして、「可能性を削ること」と正面切って言えるのは、廉が人生に於いて、テニスに出逢い、自信を持ってやり切ったと言えるまでやり切ることが出来たからだと思います。
国家試験がんばれ!