努力は報われるのかという話

久しぶりの更新です。

ありがたいことに最近仕事で忙しくさせてもらっていまして、

なかなかアウトプットする時間を取れていなかったのですが、

アウトプットとインプットの黄金比率は3:7と言われていますから

本を読む時間を少しだけ減らして自分の感情を綴る時間にシフトしました。

今日は努力について自論を展開していこうかなぁなんて思っています。

皆さんは努力についてどう思いますか。

「必ず報われる」派?

それとも「報われない努力もある」派?

僕はどちらかというと前者です。

”どちらかというと”という表現を使ったのは「報われる」の定義次第だと思っているからです。

望んだ「結果が出ること」を報われるというのなら報われない努力も当然あると思ってます。

だって10人が参加する大会でその全員が優勝を望んで努力したとしても優勝という望んだ結果を手にできるのは一人ですからね。

僕の思う報われるというのは「人生に好影響を与える」ことだと思っています。

少しだけ自分の思い出話をさせてもらいますね。

僕は大学4年生の頃、体育会テニス部で主将を務めさせてもらっていましたが、

自分でも胸を張って言えるくらい努力していた自負があります。

毎日クタクタになるまで練習して、コート外でもいろんな人の試合の動画を見て研究して、

ストレッチやトレーニングも怠らずやって。

いざとなったら就浪すればいいやなんて思いながらろくに就活もせずに毎日テニスに明け暮れていました。

そんな中迎えた大学最後の夏のインカレ。

岐阜への移動日の朝。なんだか身体中が熱く、熱を測ってみると39.5℃の熱。

頭が真っ白になりながら病院に向かうと急性扁桃炎と診断されました。

急性扁桃炎は解熱剤が効かないらしく、点滴を打ちながら1週間ほど安静にするしかないと言われました。

でも次の日から試合。

当然先生からはこんな体調で、しかもこんな猛暑の中で試合に出るなんてありえないと。

それでも夜まで安静にしたのち、真夏にパーカーを2枚着て身体を震わせながら岐阜へと移動しました。

次の日の朝、当然熱は下がっていなかったものの僕は這うようにして会場へと向かいました。

「1時間で勝てなかったら棄権する」監督とそう約束して試合に入り、フラフラになりながらなんとか勝つことができましたが

その夜は救急車で病院へと運ばれ、翌日のダブルスはドクターストップで一日病院生活。

パートナーには本当に申し訳なかったです。

しかしその病院での安静が良かったのかダブルスを棄権した次の日のシングルスの頃には熱も下がっており、

先生の許可も降りたので試合に出場したものの出せる力を出し切ったのち負けてしまいました。

とってもはしょりましたが僕の17年間のテニス人生の最後はだいたいこんな感じです。

皆さん。

僕の努力って報われたのでしょうか。

僕は「めちゃくちゃ報われた」と思っています。

なぜそう感じているのか。

この出来事で「テニスができる喜び」を認識できたからです。

5歳の頃テニスの王子様に憧れて始めたテニス。

それはいつも楽しいばかりではなく、親に泣きながらテニスをやめたいと訴えた中学時代や

もう大学ではテニスができないと思うほどメンタル的に落ち込んだ高校時代など辛い経験もたくさんしました。

大学ではテニスをしないと思っていたものの高校時代の恩師に背中を押され明治大学への進学が決まり、

どうせやるなら思い切りやりきろうと覚悟を決めて臨んだ大学生活。その最後の夏。

もちろん勝ちたかったですし、一つでも上のステージに進みたかったです。

でもあんなにコートに立ちたいと願い、たくさんの人に支えられていることを実感し、

当たり前のことなどなに一つないと改めて気づくことができたこと。

そしてなにより勝つことが一番大事だ、勝つために努力するのだと考え続けてきた僕が

このような考えに至ることができたことは勝利よりも何倍も価値のあることでした。

こんなことを言うと「負け組だ」って思う人もいるかもしれません。

でもよく考えてみて欲しいのです。

「誰に」負けているんですかね。

僕は「人生に縦の軸は存在しない」と考えています。

つまり優劣などなく、平らな空間をそれぞれの人間がそれぞれの方向に向かって歩いている。

僕たちが歩くのは誰かと競争するためではなく、歩いて今の自分よりも前進することに価値を見出すためだと思っています。

努力は必ず報われます。

報われますが、今回お伝えしたいのは努力は必ず報われるから努力しろということではなく、

誰かと比較することなく、自分の人生を自分のために生きる。

極めたいものがあるならひたすら努力してみる。

そんな感じで生きていきましょうよ。ということです。

人生に意味づけをしているのはいつも自分自身です。

たとえ結果は思い通りものを出すことができなかったとしても、

自身の捉え方一つでその努力が報われている面があると気づける。

人生に好影響を与えていると気づけるはずです。

ここまで読んでくださったあなたの人生が少しでも良い方向に向かいますように。

P.S

最後の夏の出来事を良いように捉えられているのは、

もう過去の出来事だからで、当時はそんな風に思えてなかっただろ!って少しでも思った

そこのあなた。

僕のInstagram(https://www.instagram.com/rentaro.goto)の2019/8/10の投稿を

覗いてみてくださいね。そこに書いてある僕の一言がそのときの素直な思いです。

ではまた。

たろちゃん。

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